ちまきの歴史

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【なぜ端午の節句にちまきを食べるのか?】

「端午の節句に食べる食べ物と言えば?」
このような質問の答えは関東出身か、関西出身かで分かれることでしょう。
関東出身なら柏餅、関西出身ならちまきと答えるはずです。
なぜ、答えが分かれるのか?
それは歴史が関係しています。
端午の節句は平安時代に中国から伝えられたものですが、端午の節句と一緒にちまきも伝えられています。
この頃の端午の節句は、関東と関西のどちらもちまきを食べるのが一般的でした。
江戸時代になると、端午の節句が徳川幕府の定める重要な式日になります。
すると、江戸では端午の節句の時に縁起が良いとされていた柏餅が食べられるようになりました。
上方は伝統を重んじるので、柏餅ではなくそのままちまきが伝承されています。
これが、関東と関西で答えが違う理由です。
ちまき手作り

・ちまきと端午の節句の関係
ちまきは、端午の節句と一緒に伝わったものですが、なぜ一緒に伝わってきたのでしょうか?
それは、ちまきと端午の節句が密接に関わっているからです。
ちまき横長

はるか昔、2300年ほど前の中国に一人の詩人がいました。
名を屈原と言います。
国王の側近として仕えていた屈原は、多くの人から愛されていたのですが、陰謀によってその地位を失うことになります。
このことにショックを受けた屈原は、5月5日に汨羅という川に身を投げ、自ら命を絶ちます。
国民たちは、川に沈んだ彼の身体が魚に食べられてしまうのを防ぐために、船の上から魚たちを追い払いました。
また、弔うために供物を投げ入れる者もいたそうです。
しかし、川には供物を盗む龍が存在し、供物が彼の元へ届くことはありませんでした。
どうにか彼のもとへと供物を届かせようと考えた国民たちは、もち米を龍が苦手にしている楝樹の葉で包むことを思いつきます。
それをさらに邪気を払う五色の糸で縛って川に流したら、龍に盗まれることも無く、無事に彼のもとに届いたそうです。

もうお分かりかと思いますが、楝樹の葉でもち米を包んだのがちまきの由来で、端午の節句は屈原が命を絶った5月5日に災いを除けるためにできた風習です。
端午の節句と一緒に伝わったちまきは、日本でも多くの方に愛されています。