笹団子や粽(ちまき)は昔、厄除けの縁起菓子だった!

笹団子や粽(ちまき)は昔、厄除けの縁起菓子だった!

笹団子や粽(ちまき)は昔、厄除けの縁起菓子だった!

新潟日報にて「笹団子で厄払い」という記事が掲載されていましたのでご紹介させて頂きたいと思います。

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今はおやつ程度にしか思えない笹団子や粽(ちまき)は昔、贅沢な行事お菓子、厄除けの縁起菓子だったのです。

東京の浅草橋にある天王社(現・須賀神社)は江戸時代から「団子天王」と呼ばれ親しまれました。

明治以後、祇園牛頭(ぎおんごず)天王を祀る天王社の名は廃止されましたが、人々に親しまれた「天王さん」「祇園さん」の呼び名は健在です。

京都の祇園さん(現・八坂神社)の祭りには、厄除けの粽が授与されます。

粽といっても今は食品ではなく、粽のかたちをした守りです。それが江戸の天王社では、粽ではなく団子、それも笹団子が厄除けの縁起ものでした。

その笹団子は新潟のようなものではなく、笹竹の枝に小さな団子や餅をつけたものでした。

旧暦6月満月の頃、厄除け祈願として笹団子をつくり、天王社へ奉納したようです。

奉納に向かう人がささげ持つ枝に群がって笹の枝には団子がついてないようなこともあるほど人気だったとか。誰かが持ち去るという事にも、厄を祓う(はらう)、厄を落とすという意味合いがありました。

現在では参詣者へ授与するため、氏子達が神社で作ることで行事が続いています。ですので、落ち着いて祭礼に出かけ、笹団子をいただいて帰る事ができます。

笹団子は、「笹団子守」ともいわれ、護符ですから、病にかかった時は、煎じて飲んだそうです。今のような薬がない時代に、白米でつくった団子は、米の精霊によって、厄を祓うことができると信じられていたのです。

新潟の笹団子も、オオヤマボクチやヨモギを入れること、笹の葉で包むこと自体に、厄除けの意味があったわけです。

こうした菓子をつくることができた新潟県は、本当に豊かだと思います。

その豊かさは、先人たちの丹精込めた米づくりや、災害との戦いのおかげです。豊作を祈る行事も、あらゆる節目に繰り返し行われました。ですから、新潟県は稲作に結び付く護符や縁起菓子の宝庫でもあるのです。